療育物語【第1章】~第3話~ 小学1年生の息子が駆け抜けた1年間の軌跡①

体験談

 こんにちは!パーチャルファイターです。

今回の記事は息子が小学校に入学してからの1年間のエピソードを紹介したいと思います。

この記事を書いているのはちょうど3月末で、入学される方は準備したり学校生活はどんな感じになるだろうと考えてるかと思います。

特に発達障害の診断を受けているお子さんをお持ちの親さん方は不安が強いかと思われます。

うちはそうでした。

そんな方々の参考になればと考え、今回は発達障害の息子の1年間を振り返る記事を書かせて頂きました。

 息子は保育園卒園前にADHDASDの診断を受けました。

そんな保育園時代を終えてからの小学校に入学し、支援級に通わせる事を選択しました。

「支援級に通わせていれば安泰だ」

そう思っていたのですが、いや~甘かった!

この1年は波乱万丈、本当に色々な事がありました。

謎の女性
謎の女性

いや、世の中そんなに甘い訳ないでしょ!

パーチャル
パーチャル

今思えばそうですよね。

おかげ様で息子も親も成長できた1年でした。

今回の記事のポイントです↓

POINT

1.支援級を選択したきっかけ

2.入学式での出来事

3.妻の苦悩とパーチャルファイターの参戦

4.パーチャル見た息子の学校生活

5.季節は秋、2学期のスタート

今回は入学前から2学期初期のエピソードを紹介します。

支援級を選択したきっかけ

パーチャル
パーチャル

なぜ支援級を選択したのか?

きっかけをまとめますと、以下のようになります。

CHECK

1.学校への不安がある

2.友達とのトラブルの恐れがある

3.落ち着きがなく、席を立って回る

4.興味の好き嫌いが激しい

5.学校内での安心できる居場所を作りたい

 息子の入学する1年前は支援級という考えは無く、普通に小学校に入って色々有りながらも卒業を迎えるのだろうな~と考えてました。

更に当時の自分は非常に勉強不足で、正直偏見さえも持ってました。

最低ですよね?

しかし、保育園での息子の様子は他の子と見比べてみると、ちょっと違うなと思えていました。

詳細はこちらの記事に載せてます。

療育物語【第1章】~第1話~息子の発達障害診断を受けに行ったきっかけ①

療育物語【第1章】~第2話~息子の発達障害診断を受けに行ったきっかけ②

 そういった保育園生活をやっていく内に、

「このままみんなと同じように小学校に入学させても大丈夫なのか?」

と考えるようになりました。

この時はまだ、発達障害の診断を受ける前では有りましたが、そうだった時に息子の適切な居場所を準備しないといけないのでは?

そういった事を考えた時に、頭の中に『支援級』というワードが頭をよぎりました。

 『支援級に対して偏見』が頭の中に有った自分でしたが、

そんな事よりも息子の居場所作りの方が非常に大事!

そもそも、支援級対して理解すらしてないのに偏見を持つのはいかがなものか??

と考えるようになりました。

という訳で、妻と共に支援級について調べていきました。

 そんな矢先、あるYouTube動画に出会いました。

それは、『偽善者先生』という元教師のYouTube動画です。

ちょうどこの時は、支援級か通常級かを選択するタイムリミットが近付いていた7月下旬

そんな時に、背中を押してくれる動画で、自分の中にある偏見が全て吹き飛ばす事が出来ました。

妻と共にこの動画を観て、

「よし、支援級一択だ!」

と考えが一致し、決心が固まりました。

謎の女性
謎の女性

丁度良いタイミングで動画に出会い、

お子さんの進路を作れたのね。

パーチャル
パーチャル

本当にいいタイミングで動画に出会えました。

とてもありがたいです。

 療育は勿論ですが、子育てにおいて『偽善者先生』の動画はとても勉強になります

ご覧になる事をオススメします。

入学式での出来事

「ランドセルを背負った一年生」の写真[モデル:あんじゅ]

 時は流れ、小学校入学。

一生に1度の入学式なので自分も出席したかったのですが、新型コロナが蔓延してた為、児童1人に付き保護者1人の制限が掛かりました。

ですので自分は家で留守番してました。

 入学式に送り出す時、小学校に不安を持っていた息子は、

「学校行きたくない~。やだ~」

と言って本当に嫌そうでした。

今思えば、「嫌なんだね」と受け止めなければいけなかったのです

ただ、療育を理解できてなかった自分は

「なんだかんだ、これまで乗り越えてきたんだ。妻も付いていくし、まぁ何とかなるでしょう」

と余裕ぶちかまして、2人を見送るのでした。

リモート会議中にうとうとする男性

 数時間後、妻からの電話が有り迎えに行きました。

車で学校の門に入り、車内で待っていると再度妻から電話が来ました。

「教室の近くまで迎えにきて!」

と頼まれましたが、この時周りの親さん達はスーツ姿でそれに対し自分はがっつり私服。

車降りて迎えに行きづらいな~と戸惑っていると妻と息子が自分のもとへ。

この時の妻はとても疲れていた。

息子だけ連れて帰るように頼まれ、車を出すのですが、この時電話がつながっており、

「先生、ありがとうございました!本当に大変でした・・・」

と、疲れ切った声が電話から聞こえてきた。

 

謎の女性
謎の女性

てか、服装なんて気にしとらんと、素直に迎えに行ってあげなさいよ!

声聞けば大変だと分かるでしょ??

パーチャル
パーチャル

そうでしたね。すみません。

 帰ってきてから話を聞いてると、入学式の会場に入りたがらなかったり走り回ったりと、とても大変だったという事でした。

この先もっと大変な事が待ち受けてそうな気がしました。

妻の苦悩とパーチャルファイターの参戦

 「支援級の先生方は療育のプロのはずだ!支援級に入れてれば安心だ!」

という甘い考えはすぐに打ち砕かれました。

 学校の先生はとても大変なのは承知しています。

担任の先生はとてもお世話になっており、1年の終わりには「先生大好き!」というくらいの信頼関係が有ります。

この先書く内容は、先生方を悪く言うつもりは一切ございません!

入学初期の担当の先生は「療育への理解とは???」と言った感じでした。

『???』の例を説明します。

息子の診断を受けた病院の先生には「特性上、これから何をやるのでこのようにしましょう。と言った見通しを立てる事が大事です」

との事でしたが、それに対し、

「ここは学校なので、そんなとこまでは気を回せません」

と一蹴。

 このように???であり、先生自身も結構いっぱいいっぱいでありました。

このまま先生だけに任せていいものか?と言う考えが妻の中にありました。

※先生方には大変お世話になってます。

 

 入学当初は息子は不安でいっぱいという事も有り、妻は息子の学校に付いていく事としていました。

まず、通学班で登校する時から授業・給食・下校とずっと付きっきりで、少しでも不安をぬぐおうとしました。

歩いて10分くらいの通学路でしたが、ただでさえ学校に行くのが苦痛なのに歩いて学校に行くのが辛かったようで、入学から1週間くらいしてから歩いて行かずに車で送るようになりました。

パーチャル
パーチャル

自分が小学校通ってた時は片道1時間の通学路を

毎日のように歩いて通ってたから、信じられなかったよ。

謎の女性
謎の女性

おいおい、そんな老害発言なんかしてたら療育なんてできないでしょうが??

ADHDの人は不安が強くて疲れやすいのよ!

パーチャル
パーチャル

と言った感じで自分は本当に勉強不足でした。

自分の考えを押し付けるは療育の世界は厳禁ですね

 

また、

  • 妻は『毎日学校行くのが楽しかった』と考えてた事に対し、息子は『学校に行くのはやだ!』という考えのギャップ
  • 保育園での神対応や病院での診断と対象法に対しての学校側での対応のギャップ
  • 『学校行けたらご褒美をあげる』と約束をするも、それ以上に息子の不安が強い為落ち着く事ができない
  • 学校での周囲からの視線

等のストレスが溜まり、ついに妻が爆発。

泣きながら学校から帰ってきました。

爆発のイラスト

 

 

泣いてる妻を見かねてさすがにまずいと思った自分は、

「しばらく平日休みが続くから、自分が休みの時は学校に付いていこうか?」

と言いました。

そういう訳で、4月末から1週間に1回自分が学校の付き添いをする事になりました

パーチャル
パーチャル

運が良い事に自分は平日休みがあるので

自分も参画する事ができました。

謎の女性
謎の女性

あなたにしては気が利く行動ね。

パーチャルは見た!息子の学校生活

  その後、妻は落ち着き学校に息子を迎えに行きました。

この日、息子は学校で大暴れして大人数名で止められるという事件が起こったとの事でした。

 息子が暴れた次の登校の日、自分の付き添いが始まりました。

自分の初陣は、新1年生のレクレーションの日でした。

やはり不安が強いのか?なかなかレクレーションに参加しませんでした。

しばらく先生と共に説得している内に、会場に行けるようにはなりました。

まだ、不安が強くみんなの輪に入れなくて、会場の端で見てました。

しばらく見ている内に、場の雰囲気に慣れてきたのか?レクレーションに参加できるようになってきました。

不安がある中なので自分も一緒にレクレーションに参加しました。

小1の子ども達の中に「30過ぎのオッサンが混ざってレクレーション」というなんともカオスな風景でした・・・。

ただ、「息子が不安な中頑張っているのだから父親が頑張らなくてどうする!?」と自分に言い聞かせ、一緒になってはっちゃけました。

その中で息子は楽しんでレクレーションをやってくれました

担任の先生と自分は安心しました。

 レクレーションに参加している中、自分の元へ教頭先生とある女性教師の方が挨拶に来られました。

この時に上記の暴れた時の話をしました。

話によりますと、暴れたその後に職員会議があったとの事でした。

この時の対応策としまして、2.3時間目に息子に挨拶に来られた教師の方が補助の先生として5月から付く事になるという事でした。

その補助の先生は息子の事を理解してくださり、とてもお世話になりました。

また、自分自身も息子との接し方について勉強する事ができました。

 学校に付き添っている内に息子のお友達と遊ぶ様子や授業、給食を一緒に食べたりして、「まさか30過ぎて今の小学校生活が体験できるとは」と半ば楽しんでたのと、息子が暴れたりしてお友達とのトラブルに対応したりと、色々な経験をする事ができました。

 付き添い初期は自分が一緒にいないと不安だったのですが、学校に通っていく内に「この授業受けれるから、パパ付いて来なくて良いよ!」と言える事が増えてきました。

徐々に息子との距離を離していく内に、失敗はあるものの息子の中で成功体験が増えてきました

 

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パーチャル
パーチャル

まさに『親』と言う漢字は

『木の上に立って見る』ですな

謎の女性
謎の女性

親たる者、子どもを信じないといけないよね

 また、同時に担任の先生も息子に対し理解が増えてきており、対応の仕方も良い方向に進んできております!

季節は秋、2学期のスタート

 そうこうしている内に1学期・夏休みを終えて2学期へ。

夏休み明けの2学期と言えば、長い休みからの学校となる為、

「学校行きたくな~い」というのが想定されます。

 始業式の日も妻が車で送って付き添い、登校しました。

パーチャル
パーチャル

2学期も色々と大変になるだろうな~

 

 誰もがそう思ってました。

が、その日の夜に息子は、

明日からの学校は、通学班で歩いて学校に行く!学校にも付いてこなくていいよ‼

と発言。

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 一応「通学班1回行く事に100円のお小遣いのご褒美をあげる」という条件はあるものの、息子の決意は強です。

学校に行く前は「行きたくな~い」と言い、気分によっては通学班の集合に間に合わずに他の班と一緒に登校したり、車で送る事もたまに有りました。

それでも、ほとんどは通学班と一緒に登校でき、付き添い無しで自力で学校生活を頑張っています。

 そう言った形で2学期は好スタートを切りました。

パーチャル
パーチャル

子どもの成長は本当に目覚ましいです

特に精神面の成長はすごいです

謎の女性
謎の女性

確かにすごいわね!

でも、人生山あり谷あり

この後色々な試練が待ち受けているわよ

この後は更なる試練が待ち受けています。

第4話に続きます。

ここまで記事を読んでいただき、ありがとうございましたm(__)m

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