・子どもの『療育』と言っても何をすれば良いかよく分らん。
・よく分からんし、俺はやる事あるから妻に任せていよう。
ちょっと、何逃げてるのよ!?
まぁまぁ、落ち着いて。
でも正直、自分もこういう風に逃げてた時期が有りました。
2021年初旬に我が家では息子が発達障害の診断を受け、そこから『療育』が始まりました。
妻は子どもの将来の為に約2年の間に約20冊の本を読んだり、セミナーに通ったり、病院や保育園や通っている小学校・支援学校の先生、市の教育委員会の方々等と対話を繰り返してきました。
対して自分は、たまに子どもは見るも仕事や資格試験の勉強、家計管理ばかりで、
「子どもの事は妻が頑張っているし、自分は1年半勉強してきた試験が近いから集中しよう。」
と自分本位の考えでした。
今回は、『妻に丸投げだった最低な父親がわずかに成長できた』
しくじりエピソードを紹介します。
中身としまして、
Ⅰ.そもそも『療育』とは?
Ⅱ.なぜ自分は主体的に動かなかったのか?
Ⅲ.療育に向き合うようになった2つのきっかけ
Ⅳ.そこから取り組んでいる事
Ⅴ.現在と未来
妻や子どもの為に何かしてあげたい!
でも何をすればいいか分からない!
そんな方々へ少しでも参考になれば幸いです。
それでは本題に入ります。
そもそも『療育』とは?
まずは『療育』とは何か?について説明します。
『療育』
⇒発達に支援が必要な児童に対して人との信頼関係を基盤に、主体的な活動、自発性や探索意欲等を高め、自信を持つことができるよう成長の過程を見守り、適切に働きかける。
参考:厚生労働省HP『児童発達支援ガイドライン』
つまり、得意不得意の差が激しい児童が自信を持って生きて行けるように支えていく事だと自分は捉えています。
発達障害を抱えると『計算が早い』『集中力が高い』『思考力が高い』『興味が移りやすい』『感情的になりやすい』『疲れやすい』等発達障害ではない子どもと比べて個性が強くなりがちです。
優れた能力を持っていても感情の起伏等で人とのトラブルを起こし、周囲から理解されなかったりして「自分はダメな人間だ」と自己嫌悪に陥ったりしがちです。
そんな我が子を守る為にも、病院や支援機関・学校だけに頼るだけでなく親が我が子の為に主体的に行動する事が大切となってきます。
なぜ自分は主体的に動かなかったのか?
何でこんな大事なことからあなたは逃げてたの?
理由は2つあります。
Ⅰ.妻が保育者である事への甘え
Ⅱ.勉強を頑張る姿を見せれば良いという自己満足
妻が保育者である事への甘え
自分の妻は保育士と幼稚園教諭の資格を持っており、保育園や幼稚園での仕事の経験が有ります。
なので自分は、
「子どもの知識は自分よりはるかに豊富だから妻に任せていれば間違いない」
という甘えが有りました。
更に息子の発達障害の診断を受けてからは多くの本を読んだりして猛勉強している妻を見て、
「妻に任せてれば何とかなるだろう」
これまた甘える自分がいました。
しかし、知識があったりそこから勉強を重ねてきたとしても、ワンオペで育児や療育をしていては、キャパオーバーのなる事は当然となります。
にも関わらず、
「自分は子どもの事はよく分からないから、分かる人に任せれば良いだろう」
という勘違いをしていました。
勉強を頑張る姿を見せれば良いという自己満足
自分は資格取得の勉強が好きで、色々な資格取得に挑戦してきました。
どんな資格に挑戦してきたかは、こちらの記事に載せております。
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当時の自分は『第3種電気主任技術者(電験3種)』の資格取得に向けて1年半ほど勉強をしてました。
自分としては、
「仕事をする上で役に立つ資格で、将来的にも役に立つ」
「資格取得の難易度が高くて勉強する時間が必要だ」
「勉強している姿を子どもに見せる事により、良い手本になる」
「そもそも恥ずかしい事をしてる訳ではないから、問題ないだろう」
という考えを持っていました。
一見立派な考えかもしれないけど、
それって家族が望んでる事なの?
そう言われると何も言い返せません。
このように考えてた自分は、ただの自己満足でした。
療育に向き合うようになった2つのきっかけ
そこからどうやって療育に向き合うようになったの?
下の2つのきっかけから目覚める事ができました。
Ⅰ.書籍『七つの習慣』との出会い
Ⅱ.アニメ『ダイの大冒険』の1シーンを見て
書籍『七つの習慣』との出会い
当ブログでよく紹介しているのですが、今回も書籍『7つの習慣』に助けられました。
小学校入学当時、環境の変化への戸惑いから息子は不安定でした。
そういう日が続き、妻のメンタルは追い込まれ、涙を流す毎日でした。
詳細はこちらの記事に載せております。支援学級はどんな生活なの?⇒支援学級1年生はこんな生活でした!【後編】
ただ、情けない事に自分はどうしたらいいか分からずに、妻任せの日々でした。
そんな時に書籍『7つの習慣』に出会いました。
本の中で『終わりを思い描くことから始める』という章があります。
中身としては自分のお葬式を想像し、家族が弔辞を述べる時に何を話すか?を想像します。
つまり、自分が生きている間に周囲の人からどう思われていたか?を考えます。
この考えを、『ワンオペで療育をしている妻への自分の向き合い方』に当てはめた所、
妻「私が辛い時に旦那は何もしてくれなかった」
息子「父は自分に何をしてくれなかった」
等思われるでしょうし、その前に縁を切られる事も十分あり得ます。
家族と一緒にいたい自分は
「このままではいけない」
と考えるようになりました。
アニメ『ダイの大冒険』の1シーンを見て
もうひとつのきっかけは、アニメ『ダイの大冒険』を観た時の事です。
息子も自分も『ダイの大冒険』のアニメが大好きで毎週観ています。
その中で、あるセリフが自分に突き刺さりました。
『己の立場を可愛がってる男に真の勝利などないっ!!!』
これは物語内で登場する『ハドラー』という主人公『ダイ』の宿敵のセリフです。
何故、自分の胸に刺さったかの説明ですが、
ハドラーが宿敵ダイと戦いを繰り返す中で心が成長していき、やがてダイに勝つ為に自らの命を懸ける行動を取ります。
その決意として上記の名言を発します。
この名言を聞き、自分のこれまでの行いや今の自分の立場を瞬間的に重ね、ハッとしました。
「難関資格を勝ち取り子どもに背中を見せるんだ、と自己満足の為に行動していた。
己の立場だけを可愛がり、妻や子どもに悲しい思いをさせてしまっていた!」
そう考えました。
これら2つのきっかけが有り、
療育に向き合う決心ができました
そこから取り組んでいる事
きっかけからどんな行動をしたの?
息子と2人で活動する『男活』を始めました。
男活を始めたのは息子の小学1年生の夏休みの時でした。
まだ自分は何をやればいいのか分からない。
そう思ったときに息子から、
「学校の友達がお父さんと2人で夜の公園に行って、虫の観察をしてきたんだって」
という話を聞きました。
「そうだ!男2人で出掛けて、普段体験できない事をさせればいいんだ!」
と考え、行動を始めました。
決意して初めて活動したのは夜の公園への散歩でした。
しかもこの時は『電験3種』試験の1週間前でした。
本来の受験者は直前の追い込みを掛ける所です。
自分は、
「試験は年に2回ある、だが小1の夏休みは1度しかない」
と考え、活動する事としました。
そこからは海や山、夜景を観に行きました。
10月には2人だけで高原に宿泊キャンプにも行きました。
男活を始めてからは新型コロナによる『緊急事態宣言』や『まん延防止措置』の期間もあり、3密を避けたり行動範囲は県内のみと、工夫をしての活動をしました。
基本的には屋外に行き、雨の日でも大丈夫なように人が集まらない屋内を選んで活動しました。
移動時はマイカーで、退屈しないようにレンタルDVDを準備してました。
非日常を体験させる事が功を奏し、高い満足度を得ています。
男活中にかんしゃくを起こす事もありません。
まん延防止等が解除されてからは県外での活動を優先しています。
※もちろん感染対策を取りながら。
ちなみに電験の試験ですが、4科目中2科目合格。
2科目不合格で敗因は当時1年9ヶ月の勉強をしてきたにも関わらず、自分の理解不足でした。
次回試験は療育と両立させた上で受かります!
現在と未来
現在
この記事を書き始める2日前に、『己の立場を可愛がる』出来事が有りました。
それは、子どもの為の療育と言うよりも『ブログ発信する為』の療育になっていた事です。
「勉強になった!この事を発信しよう!」という考えが大きくなり、子どもへの想いが薄れている自分がいました。
それに対して妻から指摘を受け、目が覚めました。
「こういう考えではブログ発信する資格なんてない!」
そう考え、次の日に妻がやろうとしていた療育関係の事を2件、自分が主体となり実施しました。
その結果、子どもの現在や未来を救う道が開け、妻の負担も減らす事ができました。
こうして当ブログ記事を書けるようになりました。
自分の家族を大事にしないと
読者さんを大事にできないね。
そうです。
そして1回頑張るのではなく、
継続していくことが大事です!
そこに気付けて本当に良かったです。
未来
記事を書いている当時として、療育2度目の夏休みが控えています。
2回目の電験3種の試験も控えています。
1年前の反省を活かし、夏休み期間は1週間毎に『男活』をして息子と向き合います!
その為に夏休み前に電験3種合格レベルにまで仕上げます!
そしてこの先、『ハドラー』に負けないくらい、己の立場ではなく家族を愛する父親を目指していきます。
ここまで記事を読んでくださりありがとうございました!
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